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【アラベスク】  第6章 雲隠れ (前編)



第2節 休み明け [9]




 左手の掌に右の拳を打ちつけ、わからぬ犯人を睨みつける。
「とっちめてやるんだからっ!」
「でっ でも」
「気にしなさんな」
 オロオロと気弱な里奈に向かって、ニンマリと笑う。
「里奈はなんにも悪いことしてないんだから、そんなオドオドするコトないの」
 ポンッと肩を叩くと、里奈もホッとしたように笑った。そうして、床に置いた荷物を持ち上げ歩き出す。
「あれ? 里奈、ラケット持って帰ったの?」
 里奈が手に持つラケットバックに目を落す。
 部員のほとんどは、ラケットを部室かコート横の倉庫に置いている。学校とは別にテニススクールにでも通っていれば別だが、里奈は小学五年生の時にスクールを辞めてしまったので、ラケットを持ち帰る必要はない。
「あっ ううん」
 美鶴の言葉に小さく首を振り
「ラケット、買ってもらったんだ」
「えっ」
 一年の秋に、新しいラケットを買ったはずだ。
 だが、その言葉をどうにか飲み込む。里奈の態度に、気まずさが漂っている。
「贅沢だよね」
 自虐的とも取れる言葉に、美鶴は慌てて首を横に振った。
「そんなコトないよ。春休みの大会で優勝したから買ってもらえたんでしょ? すごいじゃん」
「う… うん」
 だが里奈はあまり嬉しそうな顔もせず、曖昧に笑う。

 中学二年の美鶴と里奈に、風がサラリと纏わりつく。少し冷たく、暖かい。

 クラス違って残念だね。
 そんな会話は他愛ない。どこにでもありふれた二人の少女。

「でもさぁ、あの雨の中で優勝なんて、すごかったよねぇ〜」
 会話しながら部室に入る。中には同じ二年の部員が二人。すでに着替え終わっている。
 挨拶を交わし、ロッカーを開けた。
「ねぇ 見せてよ」
 美鶴は笑いながら軽くねだる。
「え?」
「新しいラケット」
 瞬間、里奈を貫く四本の視線。
 そちらを見ないよう意識しながら、(おもむろ)にラケットを取り出した。
「わぁ〜 軽いねぇ〜」
 手渡されて、面白そうに軽く振る。
「誰かのモデル?」
「うん」
「いいなぁ〜」
 本当に羨ましそうな美鶴。返されたラケットに、里奈は複雑に笑った。
「どうしたの?」
 着替える準備を始めながら、美鶴は怪訝そうに問いかけた。
「う… ん」
 里奈はしばらくラケットを見つめ、そうして膝を折って腰を落し、再びバックへ仕舞いこんだ。
「え? どうしたの?」
「うん。これ、今日使うのはやめようと思って」
「どうして? せっかく持ってきたのに?」
 だが里奈は、それには答えない。
 さっさと仕舞いこむ手を、美鶴が少し強めに押さえた。ハッと見上げる先で、黒々とした視線がまっすぐに見つめる。
「気にするコトないって」
 思わず、息を呑む。
「さっきの二人でしょ?」
 言い当てられて視線を外す里奈の頭を、美鶴はポンポンと叩いた。
「あんなの、つまらない妬みなんだから。里奈は気にすることないよ。それに、アイツらが怖いからってそんな態度取ってたら、ヤツら、余計に図に乗るよ」
「でも…」
「り・なっ!」
 弱々しく答える少女の頭を、今度は拳骨でポカリと叩く。
「大丈夫。私が護ってあげるからっ!」
 見上げる顔はニンマリと笑い、大きな片目をパチンと瞑って拳を見せる。
「里奈はなぁんにも悪いことしてないんだから、そうオドオドするんじゃないのっ!」
 その言葉に、里奈はようやく心から笑った。
 その笑顔に美鶴もホッとし、やがて着替えを再開する。
 が―――
「あれ?」
「どしたの?」
 今度は里奈が問いかける番。
「部費がない」
「え?」
 四月からの半年分の部費。たしか持ってきたはずなのだが……







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